ある日、大学にて盗難が起きました(自分のものではありません)
ロッカーの鍵を閉めなかったor暗証番号がゾロ目だったという事が原因だったようです
こうした背景から大学ではたまーに盗難についてのアナウンスがあります
それを聞いた時の友人の反応が印象的で、今でもたまに思い出します
「盗難とかありえないよな、普通そんなことやらんでしょ。やる奴の気持ちが分からないよ。」
ごくごく当たり前の反応でしょうが、私には「普通そんなことやらない」という言い回しが引っかかりました
なぜなら、かつての自分もこうした「アタリマエ」に支配されていたからです
小中学校時代の私の学校生活を簡単に説明すると、アニメで出てくるような委員長キャラみたいなものでした。
近所の人にはキチンと挨拶をしたり、学級委員を3年間続けたり、校則を守るように生徒に注意したり…
学校生活だけ見ればコッテコテの堅物キャラでした
(だからといって勉強ができたわけでもなく、家では基本漫画かゲーム。アニメ、ゲームは人並み以上にやっていました。)
こうした委員長キャラは家族の影響が大きいです
挨拶などの基本的な礼儀に関しては母親にうるさく言われて育ってきました(これについては今でも感謝しています)
そのため、近所の人に会ったら考えるより先に挨拶。
この時やらなきゃ失礼とか、世間体が〜とか、そういったことは全く考えていません
自分にとってはアタリマエの対応だったわけです
当然同じようにうるさく言われていた姉も同様でした
姉については名実共に委員長キャラ
私と同様に3年間学級委員をしたり、生徒会長になったりと
当時の肩書は自分と同じようなものです
それに加えて学業は普通にトップクラス
中学校に入って初めての定期試験で9教科の総失点が10点くらいだったのは今でも草が生えます
その一方で運動はまっっっっっったくできません
馬跳びが出来ないくらい。
ステ振りが極端なんすよね、彼女は。
あ、先ほど私と同様に〜と書きましたが
私が姉の真似をしていると言った方が正確ですね
まあ私は勉強について面白いほどやる気がなかったので成績はよろしくありませんでしたが
周りから見れば私は姉の劣化コピーみたいなもんです
ただ、今回話したいのは劣化コピー故のコンプレックスだとか、そういった事ではありません(そこらへんについてはまたいつか)
周りに言われてとか、周りの真似をしてとか、当時の自分は自分を持っていませんでした。
少なくとも学校生活においては。
そういえば小2の頃、図工の授業で「将来の夢」を絵にかけと言われた時には
隣の女の子の絵を真似して警察官を描いていました。
模写や自画像といった描く対象が前にあるものは描けるのですが、想像を膨らませて何かを描く事はできませんでした。
幼少からこうした兆候はあったみたいです。
さて、時間を中学校時代に戻しますが
それでも私の中身は小2と全く変わらなかったわけです
学級委員をやってクラスを良くしたい!とかそういったことは頭になく
当時の姉が3年間学級委員をやっていた↓
「校則を守れ」みたいな当たり前の事をやるだけだし仕事が楽だと言われる↓
確かにそうだなと思い立候補する
といった流れで始めただけの事です
しかし仕事に関しては一応ちゃんとこなしていたので先生方からの評判は良かったと思います
逆に多少ヤンチャしている人達にとってはウザい存在だったはずです
(漫画やお菓子などの持ち込み禁止のものを指差して注意する人に好意を持つ不良なんているのか?)
このようにコテコテの真面目くんだった私ですが、ここで問題なのは
「校則は守る」
「逆に校則を守らない人に注意をする」
こうした正義感?の根底にあるのが、歪な「アタリマエ」であったことです
「校則を守る理由?校則は守るものでしょ?」
「校則を破ってはいけない理由?ダメなものはダメでしょ」
思考停止して自身のアタリマエに基づいて正義を行使する自分は、そこらの不良よりもよっぽどタチが悪い存在だったでしょう。
一見優等生の自分は先生方から何かを言われるでもなく、見えない免罪符を手に暴走しかけていたわけです
現実にこうした正義感がエスカレートした事はありませんでしたが、一歩間違えれば何かあってもおかしくない状況でした
「悪い事は普通やらない。」
多くの人はアタリマエによって悪徳を抑制し、美徳を促進させます
しかしそのアタリマエが無意識のうちに周りを傷付ける可能性を考慮しなければなりません
いつかは自分のアタリマエと向き合わなければいけません
幸運な事に私の場合は中学のうちにソレと向き合うことができました
それはマイケル・サンデル氏の『これからの「正義」の話をしよう』がきっかけです
多感な時期であったというのもあったでしょうが、中学生の自分にとって
「正義」という一見絶対的な言葉がいかに曖昧で多種多様であるかを知った時は衝撃でした
アタリマエを自覚した瞬間です
これをきっかけに哲学にのめり込むとか、そういった事はありませんでした
しかしこの時が人生の大きな転換点だったと思っています
長々と話してきましたが
「アタリマエだと思っていることへ目を向けてみるのって大切だよね」
結局のところこれが言いたかっただけです
善人にも悪人にもなり得る曖昧な価値観に無自覚だと危ないですよ(経験談)