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天塵でのノクチルはアイドルユニットなのか

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※イベントコミュ「天塵」その他コミュのネタバレあり

 

 

 

ノクチルのイベントコミュ「天塵」がTwitterで話題になっている

 

シャニマスのコミュは今までのものも含めて癖があるが今回もなかなかのものだった

 

今回はコミュを見て思ったことを書き殴りしたので流し目で見てほしい

そもそもの話

 

ノクチルのメンバーがアイドルになった動機はバラバラだ

 

浅倉透はジャングルジムのてっぺんを登りたいから。

 

樋口円香は浅倉が心配で。

 

市川雛菜は浅倉を追って。

 

福丸小糸は3人と一緒にいたくて。

 

 

メンバー全員のアイドルになった理由にアイドルの魅力は存在しない

 

 

ノクチルとは浅倉が走り出し、樋口と雛菜が付いていき、小糸が3人を追いかけているユニットである

 

だからそもそもが他のユニットとは異質である

 

「あの」芹沢あさひでさえプロデューサーのスカウト経由でアイドルの道へ足を踏み入れた

 

すなわち彼女はアイドルに興味を持ち、アイドルになったのだ

 

ノクチルは違う

 

浅倉を追いかけていたらアイドルになっていた

 

ただそれだけである

 

彼女らにとってのノクチルは

「以前存在していた幼馴染4人の空間」となんら変わりはない

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彼女らにとってユニットとは車である

 

アイドルという「運転めんきょ」を持って

遠くの目的地へ向かう為の手段である

 

(ちなみに目的地は「わからない」)

 

今回のコミュの途中までは4人がそれぞれの車を運転している

 

天塵はノクチルという自分たちの、一つの車に4人が乗るようになった話である

 

いつも通りの

 

何か困難にぶち当たる→変化、成長→解決

 

「天塵」ではこのテンプレが当てはまらない 

 

 

今回のコミュでの困難は生放送での出来事だろう


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ありのままの友達の絆(童謡)を見せつけて見事に干されたノクチル。

アナ雪もびっくりである

 

しかし樋口や小糸はともかく浅倉と雛菜にとってはこれらを困難と捉えてはいない

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彼女たちの中には「理想のアイドル像がない」

 

ある意味ありのままの幼馴染4人の空間がノクチルの完成形であり、それ以上もそれ以下もない

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それをプロデューサーは「彼女たちは彼女たちである」と表現している

 

さて、ここでStraylight.run()での芹沢あさひの台詞を見てみよう

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雛菜と浅倉に近い考えにも思えるが、決定的に違うのは

あさひにとっての「そのまま」とはあくまでも「アイドルとして」であること。

 

あさひはアイドルの高みを目指す為、より良いパフォーマンスを求めている

 

それに対してノクチルはユニットとしてもメンバー個人としても目標が不明瞭である

 

故にどちらへ進めばいいかが分からない

 

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そもそもアイドルにはまず「アイドルとしての自分」があり、それにユニットが続く形となっている

 

だからこそユニット間での衝突、不和、その後の成長があり、

ユニットの成長はアイドルとしての成長をも意味する

 

しかしノクチルの場合は話が変わってくる

 

まず幼馴染の集まりという完成形が前提として存在する

すなわちユニット間での人間関係が既に成熟しきっているということ

 

その一方でアイドルの集まり、すなわちファンにとってのノクチルというユニットはまだまだ発展途上である

 

これが「アイドルなめるなー」と言われる所以であろう
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ではこの大きすぎる隔たりをどのように解消すればいいのだろうか?

 

そもそも解消すべきなのか?

 

ノクチルの成長とは何か?

 

アイドルとは何か?

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わからん

 

 

スタートダッシュ

最終話では花火大会でのライブが行われた

 

観客は皆花火に夢中

 

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それに対して彼女らは特に気にすることもなくパフォーマンスを行う

 

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しかしパフォーマンスはメンバー、プロデューサー共に満足する程の完成度だったようだ

 

生放送では多くの人が見ている中でアイドルらしからぬ振る舞いを見せ

 

花火大会では誰も見ていない中でアイドルとしてのパフォーマンスをやり切った

 

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アイドルになった動機を再確認して

一つの車に4人が乗った

 

そこには変化も解決もない

 

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冬優子があさひに伝えたように

ノクチルが皆から愛されずダメになるか否かはこれからの話

 

ノクチルにはまだ愛されなくなったり応援されなくなるほどのファン人数、知名度はない

 

今の彼女たちは足並みを揃えてただ登り続けるだけ

 

故にアイドルユニット「ノクチル」について意見を述べられる程の情報は今のところない

 

良くも悪くも今の彼女たちはまだ

「幼馴染の集まり」なのだから

 

さよなら、透明だった僕たち

 

さて、ここまでは昨日書いた殴り書き。

 

今度は少し視点を変えてみよう


上の見出しはノクチルのキャッチコピーである


僕というのは幼少期の浅倉透の一人称なので「僕たち」はおそらく浅倉視点のノクチルメンバーを指している


では透明だったとはどういう意味だろうか?


「誰もが人生早期において無邪気で純粋な存在である。

透明とは子どもの頃持ち合わせていた純粋さの事ではないか」


こう考える人もいるかと思う


しかし本当にそうだろうか?


透明感を売りにしているユニットメンバーが「私たちは純粋じゃないぜ!」と宣言するのだろうか?


かつて池や湖の透明度を測る時には水中に白い円盤状のものを沈め、その見えやすさで判断をしたらしい

 

透明とは向こう側がよく見えること

透明とは向こう側が理解できること


つまり二重の意味で「I see.」と言ってもいい

 

しかし透明そのものを見ることは出来ないし、理解もできない。少なくとも外側からは。


ノクチルは冬優子があさひに伝えた話以前の問題である

 

皆から愛されずダメになるか否かではなく、まず皆から認知されなくてはならない


それは即ち透明からの脱却である


輝きを放つためには透明じゃいられないはずだ


では「透明だったぼくたち」とはありのままの彼女たちの姿から変化する事を意味するのか?

 

それは違う

 

彼女たちは何も変わっていない

変わったのはアイドルユニットという不透明なものを得たこと


しかし、不透明ならば必ず皆が注目するわけではない


見られ、魅了され、愛されるためには輝かなければならない。


輝くために彼女たちがしたことと言えばアイドルの仕事をやる動機を再確認したこと、それだけだ

 

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行きたいから、行きたい

 

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いいんじゃない、無くても

 

つまりどんな仕事かは重要ではなく、みんなと一緒であることに意味があると結論付けた。

 

花火大会当日、案の定皆が花火に夢中でノクチルに見向きもしない

 

しかし色彩豊かに輝く花火に隠れた彼女たちのパフォーマンスは

 

人目を意識する人工的な花火の輝きと比べれば塵のように小さく淡かった

 

それでも確かにそこにはアイドルの輝きがあった。

 

チルアウト ノクチルカ


ノクチルは水のようなものだ

 

私たちの周りの空気中の水蒸気は目に見えない


しかし温度が下がることによって透明な水蒸気が小さな塵の周りに集まり、水滴や氷の結晶になる

 

時にはそれが雨になり、時には雪になり降り注ぐ

 

そしてそれらは自身の意思とは関係なく、時に輝きをも見せる

 

そしてそれらは最終的に「海」へと流れる

 

今回の花火vs天塵は花火の勝ちだった


不透明な塵は水に戻って海へ飛び込み、いつか再び「てっぺん」へ昇るだろう

 

海は終着点であり出発点でもあるのだから

 

おまけ ノクチルの柱

 

今のノクチルを通常のアイドルユニットとして描けないのには理由がある

 

それは市川雛菜の存在である

 

雛菜は自分がしあわせ~っと思うこと以外はしない

 

アイドルになったのは浅倉透が理由であり、アイドルそのものが自分にとって特別幸せというわけではない

 

だからアイドルのレッスンも求められる以上はしない

 

アイドルユニットとしての成長を描こうとすると、雛菜にとって楽しくない要素が出てくることは免れない

 

市川雛菜がアイドルに今以上の楽しさを見出さない限りノクチルは変わらない

 

 

そういう意味では雛菜がノクチルの柱であると言っても過言ではない

 

異論は受け付ける

 

賛否両論いいじゃない!(多田)